キイチゴ


 「キイチはコドモだ」
 白いワンピースが目に痛い。
 小さな頭を、それでもやっと支えているような首が、ことりと傾けられる。
 まるで小さな紅い花がほころぶように、笑った。


 年中生意気盛りなのだろうか。こいつは。
 オトナなんて認識が、イチコの中に存在しているはずがない。
 もうコドモとも言えないから、言ってみれば、オトナコドモ。もしくは、コドモオトナ。
 はっきりしない生物。
 ここで息をしているのは確かで、手に触れるとやわらかい。
 そうして、誰よりもおとなしい顔をして、誰よりも熱い毒をこぼす。
 自分にだけ、ではない。誰にでも、こんな風に言う。
 だから、イチコに対する好き嫌いの差は激しい。
 ったく、底意地が悪いというか。根性がねじ曲がっているというか。
 どちらとも言えるようで、どちらとも言えない。そんな奴。それがイチコ。


 この世に生まれたことが正しいとしたら、君だ。


 イチコの方がコドモだ、と引き寄せる。
 その形のいい唇に触れようとして、先に唇を奪われた。
 何の前触れもなく、両耳を左右に引っ張られて、思わず手を離す。
 上目遣いで睨みあげてくるその目線に、背筋が凍った。
 ぎらぎらとした目。まるで野生の中の青の炎。熱くて、冷たい。
 「キイチの舌は蒟蒻味」
 平然と言い放ってこちらを見ている。
 漆黒の瞳に、言わせておけば舌が蒟蒻味のキイチとやらが映り、揺れた。


 一回くらい軽く頬を抓ってみたって、罰は当たらないだろう?神様。
 当たるか。イチコの場合。


 「もう少し、オトナになったら。どう?」
 こっちが完全に無視を決め込んでも、まだ続ける。
 自己中心的で頑固な、絶対に引かない性格。引くなんてこと、きっと知らない。
 だから今、言い返しても聞かない。聞いていない。
 人の話を聞く気など、始めから全くない。
 自分の言いたいことだけ言う。
 軽く唇を尖らせて。
 なんて、我が儘。

 線の細い小さな身体。
 特に、手と足。どちらの指先も、のびやかに白い。
 まるで精巧に作られた、陶器の人形。手を握っても、ほとんど体温を感じない。
 冷たい。けどやわらかい。
 これで趣味は剣道だったりして、おかしいと思う。
 人は見かけには寄らない。


 綺麗としか、形容できない顔立ち。
 顔の部分、一つ一つが作り物に見える。
 綺麗な飾りを正確に配置してある。
 そして。強い、強すぎる目。
 それは、イチコのどこまでも激しい性格の象徴。
 強い。本当に。
 それは実際の気力のようなものでもあるが、本当は何かもっと別のもの。
 体中から発散されるエネルギィ。輝く個性。


 愛しい君の。


 でも今、乱暴に扱ったら、きっと壊れてしまうだろう。簡単に。
 あっけなく、失ってしまう。
 試しに壊してみようかと考えたこともある。出来るわけもないのに。
 これが何より大切であるということを、誰よりも分かっている。
 壊してしまえば、この目も口も、きっとこんな風には開いてくれなくなる。
 それでも、きっと壊される瞬間にこう言うだろう。


 壊せるもんなら、壊してみなよ。


 「聞いていない?もう眠たいんだ。やっぱりコドモ。キイチはコドモ」
 またどうでもいいような悪態を吐いて、今度は腕の中に滑り込んでくる。
 細い腕を絡ませて。一体どうしてほしいというのか。
 好きだ、と何度も囁いた。
 でも、好き、とか、ワタシも、とかは絶対に返ってこなかった。
 ただ何も聞こえていないような顔をするか、じっと睨みあげてくるか。
 どちらか。それだけ。
 それ以上の反応を返してこないので、踏み込めないまま。
 踏み込ませてはくれないまま。きっと、これから先も。


 あと百万回好きだって言ったら、聞いてくれる?


 やわらかい。いい匂い。
 触れるのを許すくせに、突然怒り出すのだからどうしようもない。
 「ねえキイチ」
 呟きがこぼれる。
 イチコの呟きは小さくて、小さすぎていつも拾うのが難しい。
 「イチコ教を作ったら、信者になる?」
 つん、と鼻先をこちらに向ける。
 「イチコ教?」
 「そう。イチコさまが神。汝は我を崇拝するか、」
 立ち上がって、見下してくる。
 見られているだけであろうか、本当に。
 或いはこのまま飲み込まれていくのではないかと思った。
 「ねえ、どうなんだ?ちゃんと答えよ。さもなくば……」
 なじる気など、毛頭ないくせに。なじるふりだけをしてみせる。


 さもなくば、愛してくれるの?


 「すでに。すでに十分信仰の厚い信者だと思いますがね、イチコさま」
 ようやく伝えると、くすん、と笑う。
 「ワタシはネコやコトリじゃない、それからワタシに母性を求めるのも間違い」
 分かっている。
 手をのばしても届かない。
 どこまでのばしても、届かない。
 たった一つの目標なのに。
 何一つ、叶わない。


 叶わないんですけど、神様。


 「でも、ワタシも眠い。眠っても、良い?」
 眠たいだけかよ。
 つい、口の中でぼやきが生まれた。
 いきなり現実に戻される。
 期待というのは外れるためのものらしい。
 もうあと少しも持たないだろう。何故か寝付きはとても良い。
 目が微睡み、長い睫毛をふるわせている。
 長い夜を、眠りにつこうとする。置いていこうとするんだ。
 胸に、そろりと吐息がこぼれ落ちる。
 どちらのものかも分からない。
 どちらのものでもいい。


 くたり、と素直に眠ってしまう。
 何か少しくらい言えよ、と思うが、聞こえるのは規則正しい寝息ばかりで。
 すでに安らかな寝顔。
 気持ちよさげに。満足げに。
 よほど楽しい夢を見ているのか。
 今日は帰らないままここにいるつもりらしい。
 ほどいてやった長い髪の毛が、さらさらと手の中を流れる。黒い、小川。
 存在感を決して失うことのない。
 人に世話をさせやがって。絶対に踏み入れさせないくせに。


 白い頬を両手で挟み込んで、じっと見つめる。
 綺麗。
 それ以外の、何ものでもない。
 本当は誰よりも純粋で、傷つきやすい。
 壊れやすく、激しく脆い。
 それをいつもいつも必死に隠しているだけ。見られるものかと。
 だから触れさせない。心を見せてくれない。強く閉ざして。
 どれだけのものを背負っている?
 たった一人で、全部。
 一緒に背負ってやると言いたい。
 言えない。まだ。
 言いたいのに。


 臆病なのは、どちらか。


 綺麗な弧を描く唇をなぞると、くすぐったいのか、小さく声を立てる。
 その反応が、あまりにも可愛らしくて、耳に噛み付いた。
 何かを奪えればいいと思っていた。
 身を捩って逃れようとするのに、不安になった。
 そこにあるのは、確かな今日のぬくもりだけ。明日も何もない。
 何も、いらない。
 このままでいい。


 捕らわれてしまいそうでした。


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