雲母



 妙に色気のある欠伸、ぷは、と吐き出して桜の枝を撫でる。
 裸足の足がくすぐったい。
 「まだちょっと寒いなぁ」
 うにゃ、と一声鳴いて突き出したくちびる。
 ああそうや、靴下はかな、と伸びをする。
 「起きたのか」
 桜の上から声がする。
 すぐに、するりと滑り降りてきて、目の前に顔がある。
 今日もかっこいいと思った。
 「んにゃ、まだ半分寝とる。肩貸して」
 甘い掠れた声、どこかしら、しなをつくっている自分を自覚した。
 ここは俺の場所や、また勝手にほざいて、肩にもたれる場所を探す。
 「司、どれだけ眠ったら気がすむんだよ」
 唯一、胡堂司のことを本名で呼ぶ、双子の一人が彼である。
 他は皆、しいちゃんと呼ぶのに。
 だから特別やなんて勘違いするんや。


 「一日、三十時間や」
 司は、ちょうど頭上にある自分の眼鏡を奪い取って握りしめ、けろ、と応える。
 そしてそのまま寝息。
 「お、き、ろ。折角、入学する前に学校見に来たってゆーのに。おい、こら」
 引き起こして揺さぶって、試しに額をはじいて鼻をつまんでみても、起きる気配は全く、ない。
 がぶ、と耳に噛み付いたって。
 「ったく、惰眠症」
 あきらめてもう一度肩にもたせかけると、朔、と、どこか痛い、溶けそうな声で呼ばれた、寝言。
 痛いと思った。やりきれない。
 取られた眼鏡を握りしめる指を一本一本ほどく。
 「春だからって、色気付くなよ」
 どこかで泣いている人を見つけたよう。
 「甘い……」


 窓際の席を与えられて、少し嬉しい、ぐり、と真っ黒の瞳に覗き込まれる。
 妙に人形めいていて、精巧な造りの少女。
 獣じみた自分とは違う種類、と瞬間で分かった、のは嘘かもしれない。
 同類、なのか。
 「こんにちは、胡堂司」
 礼儀正しいようで、不遜である、いきなり呼び捨て、つんと上を向いている。
 さらさらの髪に触ってみたいと思った。
 「自己紹介、覚えてないだろうけど」
 確かに覚えてない。
 「桐生一子です、よろしく。友人から、これを渡すよう頼まれて。受け取って欲しい」
 少し斜めに、それも絶対の自信と幾らかの誘い、白い指先から、桃色の封筒がすべってくる。
 ふふ、と耳をくすぐるような笑いに、ああこれは同類、と今度こそ理解する。
 お互いおかしかったのか、目を見合わせて、くちびるの端っこで笑った。
 「色っぽいね、司、京美人」
 司は、女性的というのではなく甘い、ただ甘いがどこか冷めた感じ。
 どこか、形容しにくい。
 「あんた、はっきり言うんやな。好きやわ、そーゆー女の子」
 くつ、と喉の辺りで笑うことで応えた。
 「誘っても何も出ないってこと、知ってるくせに」
  封筒には、果たし状、と筆で大書されていた、女の子の字ではあるが。
 『今夜七時。校庭の桜の木の下にて待つ。
                     一宮 徹子』


 きゅう、と伸びをして、さーく、さーく、わーつきさーく。
 少々音の外れた歌を歌いながら、くるりと振り返り、和月朔を探す。
 和月桂、朔の双子兄弟は、司の幼なじみである。
 「変な歌、歌うなよ。恥ずかしいじゃないか」
 少し焦り、赤くなって朔が近づいてくる。
 「なんやの、でかい図体してて。リズミカルに呼んで上げただけやないの」
 「だから、名前じゃなくて。お前の歌が、変」
 まじめな顔ではっきり言う、この部分をこうしてだな、と歌を繰り返している。
 阿呆らし、と肩をすくめた。
 「ええもん、歌なんか下手でも、俺には美貌があるんやもん」
 「自分でゆーか、普通。確かにお前は美人だけどさあ、だからって、それでいいとは……」
 ぐだぐだと説教を始める朔を見ても、なんやの自分かて十分かっこいいくせに、
さっさと自覚してその野暮ったい眼鏡新調しやがれ、とその程度しか思わない。
 そんなものである、そんなものでしかない。
 「お前、華奢だし、もうちょっと体力つけてだな、そう、牛乳とかも飲んで」
 「や、牛乳なんか。あんな白いん気色悪いわ。それに、華奢なんは俺のウリや」
 「どうしてもだったら、炭酸と混ぜてセーキに」
 阿呆、もう一度毒づく。
 何でこないに真面目なんやろ、桂の方はもっと軽いのに。
 どちらかと言えば桂の方が気が合うのだが、それなのに、分からない。
 分かりたくもないが。
 何でこんなん好きになってもたんやろ、呟いたつもりだった。
 このままずうっと言わんつもりか、自分。
 朔を困らせる、なんていうのは言い訳でしかない。
 遠い、こんなに近くにいるくせに。
 いかん、スキンシップ不足や、と首を振っても。
 朔は気付いているに決まっている、気付かない振りをしていてくれるだけ。
 だから、痛い苦しい辛い、どっちも。喉が渇く。
 ソーダ水、飲みたい。


 「俺、今日、女の子に呼び出しくらってんのや」
 「そうか、高校入って、今日で一週間だろ。それで、男女併せて十人、以上だったかな、やっぱり多いな」
 「みんな、俺のお茶目で可愛いところに惹かれるんや、分かったか」
 ぴし、と自信ありげに言ってのける、それほど本気で思っているわけでもないが。
 「また断るのか」
 どうして、こんなに笑っていられるんだろう、二人とも。
 「そんなん知るかいな」
 これが一番の本音、どこか本気じみていて悲しい。
 「朔、司、あんぱん買ってきたー」
 桂が割り込んできてほっとした。


 桜は夜の方が好きだと思う、なぜなら昼の桜はあまりにも健全だから。
 どうしても、入学式だとか卒業式だとか、そういう固定観念から離れられない。
 出来るだけ色の薄い方がいい、闇と薄い桜色のコントラストが最も美しい。
 少しの風ですぐに散ってしまうところが惜しい、いやいや、その儚さ故に愛でられるのであろう、
そうすると美しさというものは永遠ではないのか、と哲学者にでもなった気分になる。
 そもそも小難しいことなど考えられもしないが。
 夢魔、妖、引き込んで離さない、そういったもの、どうにかすると誘われてもう二度と戻ってこられないような
危うさ、それはそれで良しとするけれど。
 「今晩は。何の用事なんや」
 呼び出されたのは自分の方であるのに、ずっと先に約束の場所に来てしまう、癖は変わらないまま。
 「こんばんは、胡堂くん」
 何というのか、目が大きい、とまず思った。
 「あなたに聞きたいことがあるんです」
 夜桜というのは、何やら得ではないか、人を本来よりもきれいに魅せる。
 「聞きたいことて」
 「ええ、はっきり言うわ。胡堂くん、桂さんと朔さん、どっちが好きなの?」
 「朔」
 ずばりと盲点をつかれて驚き、にもかかわらず、ずばりと答えてしまって、お互いに沈黙を味わう。
 口の中で、あちゃあ、と呟いても遅い。
 素直に答えすぎて、それもどうしてか自然だった。
 「良かった」
 幾分さっぱりとした表情で手紙の主、徹子が笑う。
 「私、いくら何でも胡堂くんと張り合える自信はなかったから、まぁ、努力はするつもりだったけど」
 にゃ、と肩をすくめて、そこそこ安心したよう。
 「しいちゃん、とかでええよ。でも、なんで、それって、えーと」
 「コテツ」
 「コテツが桂を好きってことになるんやな」
 「そうよ」
 恥ずかしげもなく応える。
 「じゃあ、お互い頑張ろうね」
 それだけ言うと、徹子はきびすを返した。
 それだけだった。
 「桂が好きなんはメロンパン、朔が好きなんはあんぱんや」
 背中に向かって、声を張り上げる。


 桂、桂は双子のでっかいくせに軽い方、また妙な節を付けて歌ってみた。
 桂も朔も中学の時からバスケをやっている。
 そりゃそうや、あんなにでっかいんやから使わなもったいない、スポーツ界に奉仕せえ、
といつも応援に行っていたが。
 第一弱い、両方とも、優しすぎるのかもしれない、激しいプレーが出来ない。
 ま、ええか、とそれでも笑って許される程度のことではあるが。
 朔、朔は双子のでっかいけれど真面目な方、やっぱり歌う。
 嫌になるくらい昔から優等生だった。誰にでも優しく、しっかりしている。
 嫌やこんな奴、好みやあらへん、と理性がいくら否定してみても、きりきり舞をするばかり。
 「優しい男なんか、嫌いなんや俺は……」
 今のところはコテツの応援でもするか、妥協、自己完結ではある、それも苦し紛れ。
 泣いてしまおうか。


 「辰巳ぃ」
 何となく歩いていたら、丁度、化学準備室の前だった。
 どうしようもないかと考える暇もなく、ドアを開ける。
 「よ、フェロモン噴出器。学校にいる間くらい、先生って呼べ」
 従兄弟、それにしては近しすぎる気がしないでもないが、何分その辺りがずっと曖昧なままだ。
 すらりとした白衣の背中、印象に納得。
 「せんせ、今日もええ男やなぁ」
 どうも笑ってしまう、何となく背中にしがみついたのも、セクシャルな意味であるかどうか。
 ささくれだった神経を逆撫でして欲しいと思った。
 「かっこいいとか、素敵とか、セクシーだとか誉めるのは勝手だけど、何も出ないからな」
 「けちやね。何も、いらへんよ。ただちょっと散歩してただけや」
 くる、と辰巳が振り返る、眼鏡、朔のとは違ってお洒落さんやね、と呟く。
 くちびるを近づけてみても、かわされる、目が合ったのはどうしてだろう。
 覗き込まれても困るわけだし。
 「何かあったか」
 真面目なのかそうでないのか、ちょうど数秒間停止したままの表情、素直にはなれへんね、
心持ち唇を尖らせてみせる。
 うに、と泣き真似。
 「なあんも。なんもあらへんわ」
 涙腺もゆるみそうだった。
 繊細すぎるんや、自己満足、何も始まらないだから終わらない。
 一途だというのは、さて一体、誉め言葉であったかどうか。


 徹子は、それからすぐに桂と付き合い始めた、よく分からんが、そういうことらしい。
 一子には、一学年上に相手がいるらしい、もっとも一子は少し拗ねながら否定していたが、
そういうような、素直になれないものなのだろう。
 それなら同じである。
 つまり、あぶれたのは司と朔である、という結論になる、けけ、と笑った。
 徹子が机の前に立った、
 「しいちゃん、今度の日曜日、デイトしましょう」
 妙に時代がかった物言いである。
 「誰と、誰が」
 「私と桂と、一子と貴一先輩と、しいちゃんと朔さん」
 「六人なぁ、貴一先輩て誰やのん」
 「一子の、ね」
 ふうん、と口の中だけで呟き、それってデート言うのんか、首をかしげる。
 「いいのよ、なんでも、つまりはみんなで遊ぼうってだけ。もしかしたら、
一子のお兄さんも彼女連れてくるかもしれないし」
 「へえ、一子ってお兄さんおったのんか」
 司も、徹子も一人っ子である。
 「うん、雛子さんていってね、すっごい可愛いの。もうほんと感動するくらい」
 「お兄さんやのに、雛子さんで可愛いのんか」
 「そ、しいちゃんみたいに色っぽいんじゃなくてね、なんていうかこう、清純そうな感じで、ふわふわ……」
 うっとりと、陶酔している。
 「悪かったなぁ、どうせ清純なんかからかけ離れとるもんねーだ。
ふん、デートったって、俺と朔やおまけやないか」
 「いいじゃないの、二人でいれば」
 「余計な気ぃ回さんといてや、自分らは楽しんでたらええのんや、全く、俺の気も知らんと」
 悪意のあるわけでもないが、ぷく、と頬を膨らませたら息が詰まった、みっともない。
 みゅー、徹子が肩をすくめる。
 どうせアクも強いし、とまた拗ねる。
 けろ、と蛙の鳴き声をまねた。
 なぜか対抗された。


 昼、だった。
 「ほい、あんぱん」
 ぽふ、と軽い音を立てて、あんぱんの袋に頬をつぶされる。
 「むぎゅ。……なんやのん、あれ、朔はどこ」
 きろ、と上目遣いで見上げても、反応してくれない、数少ない貴重な人間の一人である。
 桂には、惑え、の呪文が効かない。必要もないが。
 「先生に呼ばれてちょっと職員室、だそうですよ、奥さん」
 朔と同じような顔が、きききと笑う。
 「黙れ、ジャリガキが。桂、口が軽すぎやわ」
 ここら辺でしめておかないと、後々手がつけられなくなる。
 「変なこと、朔に言うたら承知せえへんで」
 「きゃ、こわーい。どんな風に承知してくれないのか、ちょっと試してみたい気もするー」
 「もう知らん。なんやの、もう。コテツとお昼せえへんのんか」
 「コテツはですねー、一子ちゃんとお外へ食べに行きましたー」
 「ふん、つまりは置いてきぼりやねんな」
 「ひどいなぁ、司ちゃんは。こーゆーときは、優しく慰めるもんでしょ」
 うにうに、と頬をつつかれる。
 「俺、お前に惚れんで良かったなって、今思い切り自分に言い聞かせてるところや」
 「こっちこそ、だよ。司ちゃん、見た目可愛いけど、絶対裏切られそうな気がする」
 「何言うてんの。俺は一途なんや」
 「だからだよ。だから、そいつ以外みんな騙しても、お前は……」
 一瞬、ほんの一瞬ではあるが、真面目な、朔のような表情を浮かべる。
 「しけた話せんといてや」
 ぱん、と勢いよく開けたあんぱんの袋が、乾いて無機質な音を立てる。
 「もっとも、そんなの全部ひっくるめて、お前を好きでいられる奴もいるわけだけど。そんなんじゃなきゃ、
資格ないよな」
 「何が、言いたいんや」
 「さぁ。俺も、好きだってことかな」
 最近、あんぱんばかり食べていると思った。
 他愛もない。


 「みんなでデート、やて」
 むう、と男の腕に頬をくっつけるのも虚しいような。
 「それで、司は行くことにしたのか」
 けれど、それ以上の密着もなく、溜息、腕をかじる。
 「行かへんよ、みんなくっつきやがって、絶対当てられるわ」
 神妙な顔をしてみせる、どこか泣き出す寸前のような。
 「ま、朔が行きたいんなら、ついてってやってもええけど。野郎二匹、当てられてくるか」
 睨むように見上げた顔、組んだ腕、こうしていつも不遜である、泣きたいくらい。
 眼鏡に手を伸ばして奪い取り、掛けてみせるのはせめてものカモフラージュ。
 ださい眼鏡やと思った、それでも離さない。
 「素直じゃねーな」
 「どっちが」
 べ、と舌を突き出し合って、酸素を交換して、それで。
 もう、どうしようもない。


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