おいしい水のある場所


 ヒナコとイチコ。
 といえば、この近所で知らない人はいない。
 美人。もしくは奇人キョウダイ。
 確かに、ヒナコもイチコも綺麗。
 特にイチコの方は、近づくことをちょっと躊躇させてしまうような。
 凛としている、というのだろうか。
 線のはっきりした、それでいて細い髪も、つり上がり気味の大きな目も。
 ただし、性格を考えなければ、だが。
 言うことは突拍子もなく、我が儘で生意気で、可愛い気など一欠片も存在しない。
 女王様というのが一番しっくりくるのだろうか。。
 ボク、キイチ、ヒナコ、イチコの四人は、幼なじみだ。
 イチコだけが一つ年下で、そのせいか、ヒナコもキイチも昔からイチコには甘い。
 だからだろう。イチコがこういう性格になったのは。


 ヒナコの方は、一言で言うなら、柔らかい。
 何となく丸みを感じさせる声が、イチコとは全く違う。
 血液の代わりに桃のジュースでも流れているんじゃないかと思えるほど、天然。
 見るからに、可愛い女の子。
 男だけど。
 男なのに、ヒナコ。
 どうしてなのかは知らないけど、本人は気に入っているようだ。
 せっかくこういう名前なんだからと言って、いつも女の子の格好をしている。
 だから、ボクもキイチも、ヒナコが男性の服を着ているところなんて想像もできない。
 もちろん学校の制服も。どうして許可されたんだろう。
 知らない。


 ボクはしかし、名前に関してはヒナコのことをあまり言えない。
 サトル、という。
 女の子だけど。格好だって。
 女の子しているヒナコの影響の反動で、自分のことをボク、と称してしまうけれど。
 そんなことは問題じゃない。
 四人の仲で一番冷静なのは、とりあえずボクだ。
 ヒナコとイチコは変だし、キイチは普通といえば普通だが、すでにイチコの保護者と化してしまっている。
 苦労しているだろうと思う。
 こんなめちゃくちゃな面子でくちゃくちゃしている。


 もうだいぶ暖かい。
 学校の帰りに、ヒナコの家に寄ろう、ということになった。
 キイチも一緒に来る。
 こちらはイチコ目当てだろうけど。
 イチコは、もう帰っているだろうか。
 ――転がっていた。
 イチコが。
 ドアを開けたらそこに。
 玄関マットの隣に。
 本当に、ころりと。
 キイチが慌てて駆け寄る。
 「イチコ」
 イチコがその首に腕を回した。
 ヒナコは呆然としている。
 ボクはさっさと靴を脱いであがった。
 「おはよう、キイチ。ここは涼しくて気持ちいいから」
 イチコは笑って唇を近づけて。
 「寝ていた。ちょっと熱っぽいんだ。風邪かな。他人に移したら、治る?」
 イチコの声を背中に聞いた。
 続く長いため息。続く妙に音を立てた笑い声。
 完全に無視されたヒナコがボクの背中を追ってくる。
 日常日常。ジュースを飲もう。


 ヒナコとイチコがテレビゲームをしている。
 こういう時、キイチもボクも必ず傍観しているだけだ。
 「お互い、この兄妹には振り回されてばっかりだ」
 ふと思いついたように、キイチが軽口を叩く。
 キイチとイチコ。ヒナコとサトル。
 それが、昔からの組み合わせ。きっとこのまま変わらない。
 変わりたくない。
 「お茶でも、入れてきますか」
 「そうしますか」
 苦労人が二人。何も知らないのが二匹。


 「ひどいっ!」
 ヒナコの叫び声が響く。
 「私よりもキイチの方が好きだってことなのっ!」
 ボクとキイチは、キッチンでお茶を入れていた。
 ぱたぱたと。妙に軽い音を立てて、二人が駆けてくる。
 イチコ。それからヒナコ。
 ぎゅう、とイチコがキイチに抱きつく。
 というよりも、しがみつく。
 いや、噛み付くと言った方が正しいか。
 ヒナコを振り返って、舌を出している。コドモ。ぎゅ。
 キイチは兄妹喧嘩に巻き込まれたことを知って、呆然としている。お気の毒さま。
 お茶が冷めてしまう。
 その場の雰囲気を無視して椅子に腰掛けたボクに、ヒナコが縋り付いてきた。
 「サトルくん!聞いて!イチコってば兄である私よりも、たかだか幼なじみのこのキイチの方が
頼りがいがあるって言うの!」
 感嘆符三つ。泣き顔で訴えられても。
 「それを言えば、ボクとヒナコの間柄だって、たかだか幼なじみだと思うけど」
 言ってしまえば、限りなく深い悲しみ。
 らしい表情でヒナコが固まっている。つくづく器用だと思う。
 「しょっくう。意地悪なサトルくんと、兄に対する愛情を忘れたイチコ……。もう私の行き着くあては
キイチのところだけ。でも、キイチはイチコを私から奪った悪いやつだし……私、可哀相」
 しくしくしく。ヒナコが沈むそこへ。
 「ばーか。またどーでもいいことで泣いて」
 イチコの声が直撃する。
 全くこの兄妹は。
 おおかた、ゲームで負けたイチコが、悔し紛れに何か言ったのだろう。そんなところだ。
 お茶をすすった。熱い。でもこのくらいで丁度いい。
 「まぁまぁ二人とも」
 キイチの仲裁。これでどうにかなるだろう。
 クッキーも食べることにした。
 星形星形星形。
 「こんなにも妹を愛しているのに!」
 「ヒナ嫌い。ヒナの莫迦ばかばか」
 「ほら、二人とも落ち着いて」
 キイチの焼いたクッキーはおいしい。


 電話のベルは、いつも突然にやってくる。
 午後二時は、いつだって眠たい。今日は土曜日。
 「もしもし?」
 ――モシモシ、サトルくん?ヒナコでーす。
 「何の用?」
 ――つれないんだね。
 「何が?」
 ――サトルくんが。これといった用はないんだけどね。
 「そう。じゃあね」
 ――いやっ!切らないで!
 「何?一体。ここら辺で愛の告白でもするわけ?ヒナコの告白なんて聞き飽きた」
 ――だって、一日百回好きって言わないと唇が荒れるんだもん。協力してよう。
 「リップクリームでも塗れば?」
 ――好き好きサトルくん。
 「イチコに言えばいいのに」
 ――妹に?毎日言っているよ。でもイチコはキイチが……うぅ、兄は複雑っ!この苦しみを分かってよ。
 「じゃあね、ばいばい」
 ――え?切っちゃうの?あ、ちょっと!
 受話器越しにキスをした。ヒナコは知らない。


 「ねえ、イチコ。この服、似合うと思う?」
 昼下がりのキイチの部屋。
 ヒナコがファッション雑誌をめくっている。
 イチコはというと。眠たいのを理由に、床に転がっている。
 ごろ。ごろごろ。ごろん。どか。
 「いてっ」
 転がったついでにキイチを蹴っている。
 キイチも避ければいいのに。
 「サトルくんにはこのジーンズは?」
 濃紺の厚い地。いいかもしれない。
 「あ、これも。これも」
 次々に指さしていくヒナコ。
 イチコは相変わらず転がったまま。眠っている。妙な姿勢。足を投げ出して。
 キイチの上にのっかっている。キイチの苦笑。
 ヒナコの明るい声。
 「これ!これが一番!」
 いいよ。いいね。
 いいかもしれない。
 ずっと笑っていたかった。


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